まずは自己紹介から。どうして私が日本と仕事をすることになったか。

私はよく人から、何がきっかけで日本に興味を持つようになったのかと聞かれます。高校時代の私の趣味は美術で、シカゴ美術館の浮世絵コレクション(そのコレクションは世界でも指折り)に夢中でした。私はアーティストのスタジオで、製版を学んだのですが、そこでは伊礼由美子ギョクチェさんという日本人のアーチストの方もスタジオを共有していました。彼女の作品は大変素晴らしいものでした。そして、そんな彼女とおしゃべりするのは至福のひとときでした。彼女の話を聞いているうちに、私の日本への憧れと好奇心は膨らむ一方でした。

当時私には、日系アメリカ人の友達が何人かいたのですが、彼らの家に遊びに行くと、いつもそのご両親がとても丁重にもてなしてくれました。そして、興味深い日本の物がたくさん家の中に置かれていたのを覚えています。また、私の高校には交換留学で日本から来ている女の子がいたのですが、彼女はランチタイムはいつも、私とその友達のグループと一緒に座りました。彼女は日本の文庫本やサンリオの小物など、私にとってとてもめずらしいものをいつも持っていて、私たちに見せてくれました。

私と同世代の多くの人たちがそうであったように、私はジェームス・クレイヴェル作のSHOGUNというミステリーのテレビドラマや、ベスト・キッドやStar Warsなど日本の影響が見える映画に影響されました。やがて当たり前のように、Japan=fascinating(心惹かれる、大変興味深い)という方式が私の頭の中に出来上がりました。

大学に入ったときの私は、将来はビジネスに関連した仕事をしたいと漠然と考えていました。そしてこう思ったのです。日本を勉強すれば、その文化的に興味深いことについての知識を生かしながら、ビジネス・キャリアの土台にできるかもしれない。私にとって日本語のクラスは楽しくてしょうがありませんでした。その後アイセック(AIESEC)を通して、京都で素晴らしいインターンシップを経験し、私はまさしく「日本に関係したキャリア」の道を歩んでいました。

日本の企業文化に興味を持つようになったのは、日本の大手銀行本社で、数少ない外国人社員として働いていたときでした。どうしたら私のような外国人社員が、日本企業構造の中で効果的でいられるだろうか?どうしたら日本人のマネージャーや同僚たちとより効果的に働けるだろうか?どうしたら意思決定過程に影響を及ぼすことができるだろうか?日系企業はその国際経営を拡大するなか、どのように日本人社員と外国人社員をうまく統合していくのだろうか?

このような疑問を持っているのは自分だけではない、そう私は気がつきました。そして、もっと情報が必要だと思ったのです。それがきっかけで、私は最初の本、The Rice-Paper Ceiling: Breaking Through Japanese Corporate Culture雇用摩擦を執筆しました。そしてまもなく、ジャパン・インターカルチュラル・コンサルティングを設立したのです。

これが私が今の仕事に携わることになった、大まかな経緯です。今でも私は日本文化について、そして日本文化とほかの文化が様々な形で触れ合う様子について、毎日のようにクライエントから学んでいます。