Tomoko は自動修正(改悪)機能にかかると Tomato に変換されてしまいます。でも誰かがメールやテキストでこの間違いを犯しても、私はあまり気になりません。「Tomato」は自信に満ちて堂々と闊歩する女性のことを指す古風な言い回しだからです。ありがたく承ります。

中には礼儀正しい人がいて、私の名前はどう発音するのか質問されます。でも滅茶苦茶に発音されてしまう場合も結構あります。Tomiko と発音する人が予想以上にいて、「o」が3つなのにどうして「i」になるの?と不思議に思います。

スタバで注文する際にどのような扱いを受けるかで、おしゃれな街にいることが分かります。そこでは名前の綴りも尋ねられないし、飲み物ができた時もちゃんと間違いなく名前を発音してくれます。一方都会から程遠いところでは、カップにしっかり名前が書かれているにも関わらず、名前の代わりに「抹茶ティーラテグランデホット」と呼ばれてしまいます。

アメリカに引っ越してきた最初の頃は、ミシェルやキャシー、スティーブンやジェームスという名前のアジアからの移民に出会って不思議に感じていました。後から分かったのですが、アジアからの移民の多くが、社会に溶け込むために英語の名前を使っているとのこと。日本人男性のケン、テッド、ジョー等々にも遭遇しました。でも私が出会った日本人女性(小百合、洋子、恵、など)は全員日本語名のままでした。あっぱれ日本人女性!

しばらくして、英語で放送されているNHKワールドジャパンを観ている際に、日本語名が名字+名前の順で表現されていることに気が付きました。例えば総理大臣は、CNN でしたらShigeru Ishiba のところを NHKではIshiba Shigeru と表現しています。アナウンサーも Shibuya Aki、Yamaguchi Hiroakiです。ところがその他に Yoko Komagata、Catherine Kobayashi も混在しています。問い合わせのメールを送ったところ、数年前からこの形をとるようになったそうですが、逆の順の表現を望む人がいれば、例外として認めているとのことでした。私は Tomoko Parry とパリー智子のどちらを選択したらよいでしょうか?即答が難しいところです。ちょっと考えさせてください。

一体名前にはどんな意義があるのでしょうか?トマトはどんな名前であっても、その味は変わらない、というのが的を得ているかも知れません(シェークスピアさん、ごめんなさい)。

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