
翻訳とは初心者には容易に説明できない神秘的な妙技です。翻訳で失われるものが多いと言われる一方で、隠されたプラスの物事を明らかにすることもできます。人と人、心と心を結ぶのは言葉だけではありません。言葉の壁があっても心のつながりを築くことは可能です。
私はほんの一時期、電話通訳をしていたことがありました。この仕事はかなり大変でした。言われたことのみを翻訳して、どんな状況下でも中立を保つように指示されていましたが、これはまさに言うは易く行うは難し、でした。
最初の仕事はある企業の人事部からの電話でした。この会社は多数の従業員を解雇したばかりで、そのうちの一人が日本人でした。同僚にさよならも言えずにセキュリティーに付き添われて会社を去ることに、彼女はとても当惑していました。彼女に必要なのは通訳ではなくコーチングと慰めでした。彼女はちゃんと英語を話せました。しかし、米国企業の雇用と解雇にまつわる文化ついて、馴染みがありませんでした。
次の電話は病院からでした。日本人女性が夫の生命維持装置のスイッチを切るか否かについて決断しなければならない立場にいました。もちろん、私は彼女が置かれた苦境に深く同情を寄せました。指示された通り中立の立場を守り思いやりを見せないことは非常に間違っているように感じました。この場合も、この女性に通訳は必要ではありませんでした。彼女が必要だったのは、話しかける誰か、耳を傾けてくれる誰かでした。
なぜ「中立の態度を取る」こと、「言われたことのみを訳す」ことにこだわるのかは理解できます。しかし私は機械ではありません。翻訳で失われるものはこの場合、人間としとの尊厳でした。私は常に思いやりを持って人に接したい。私は機械にはなれない。そう感じた私は、この仕事を辞めることにしました。
今後ますます人工知能が翻訳者と通訳者に取って代わろうとしています。しかし AI が人と人のコミュニケーションの細やかさを置き換えることはできないと私は信じています。人々が言葉や文化の壁を越えてコミュニケーションを望む時、そこには失うものよりも得るものの方が多い、と信じたいと思います。
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