
息子が3歳のころ、公園で機嫌よく遊んでいるのに、5歳上の娘を迎えに行かなければならないことがありました。手足をバタバタさせている息子を抱いて車に向かいながら、
「せっかく楽しく遊んでいたのに、途中でやめて学校に行くの嫌だよね」
と声を掛けると、息子の体の緊張がふっと抜けました。「これは、自分への語りかけにも使えるな」と思いましたが、実行はままならず。
その後、The Tools: 5 Tools to Help You Find Courage, Creativity, and Willpower–and Inspire You to Live Life in Forward Motion の著者のコメント「私はハッピーな人間だが、ときどき理由もなくイライラする」に、「私もだなぁ」と反省しましたが、自分と向き合う時間はなかなか取れませんでした。
最近のことです。昔のクライアントに「ランチを作るから遊びにきて」と言われ、出かけました。彼女の近所の風景を見て、もしやと思いアプリで調べてみると、二十年来の友人が高速の反対側に住んでいることが分かり、会うことになりました。思わぬダブルヘッダーとなり楽しかったのですが、5時間ほど集中して話した後に通勤ラッシュの中を運転したせいか、帰宅後ぐったりしてしまいました。体の疲れだから寝れば回復するだろうと思いましたが、翌朝もなんだか冴えません。心が疲れていたのです。
しかし、原因が思い当たりません。二人の友人の強い美意識と、世間の差別を感じながら前向きに生きている姿に圧倒されたのか。でも、どうもピンときません。そこで、二人との会話を映画を見るように思い浮かべることにしました。最初の友人としばらく話した後、彼女が換気扇をつけて中華料理を作り始めました。私が黙ると、「話し続けて」と頼まれました。本当は嫌だったのに、それぐらいの融通はきかせなきゃと思い、換気扇と彼女が鍋をお玉でカンカン叩く音に負けじと話しました。そこで体の緊張がほどけるのを感じ、これが疲れの原因だと分かりました。
「叫ぶように話すのは嫌だもんね。次回はきちんと説明するようにするから。ダメなら、手洗いに行って、休憩するようにするからね」と自分に声をかけました。
無意識下の本心は、ときどき意識の中へと漏れ出します。それを理屈で抑え込んでしまうと、不満や緊張が残ります。この漏れ出しに気づくための一つの方法が瞑想です。しかし瞑想中は物事を解決しようとしない、というのが基本のルールです。そこまで考えて、あぁ、だから瞑想を止めてしまったのだなと、おまけの気づきがありました。私は抑え込んだ感情と向き合い、無意識下の自分と話すと、心が軽くなり落ち着くのです。
ちなみに本物の瞑想は一生続けるものだと Mindfulness in Plain English (Henepola Gunaratana著)で知りました。なので、私がしていたのはその練習にすぎませんが、何事もしばらく続けると何かしら学びがあります。瞑想やご自分への語りかけ、よかったらお試しください。
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