シリコンバレー 失敗の経験は勲章に値する

今回はシリコンバレーのベテランコンサルタント小野智世子はゲストブロガーをしてくださいました。

一般の日本企業とシリコンバレーの文化生態系を見ていると、比較文化論の面白い題材になるのではと考えたりしています。新規ビジネスを起こしたり、新市場の創造に挑むベンチャー企業は これまで設立者の成功、失敗を通して得られた知識、洞察を資産としています。特に面白いのが、立ち上げたベンチャーが

失敗に終わってしまった場合、その経験の位置付けです。理由としては様々な要因があるはずです。市場に早すぎた技術、予想外の競合が現れたとか、内外の色々背景があります。  

これらの経験をリッチな燃料にして次のベンチャー立ち上げをするのです。彼らを支援する投資家たちも、以前のベンチャーが当初の計画通りにいかなくても

どのように対処し ナビゲートしていったかなどの設立者の手腕を見るのです。

シリコンバレーのコミュニテイではよく聞かれるのですが、ベンチャーキャピタリストの投資決定の一が設立者の手腕 、二に同じく、三、四がなく五に設立者の手腕 (Management Quality) ということです。  

失敗があっても いくつかのベンチャーを立ち上げて来た事実は勲章になり、

過程で得られた知識は貴重な資産とみなされるのです。ひょっとしたら、うまく行った例しか知らない(OR,うまく行きそうなことのみにフォーカスしてきた)起業家よりも シリコンバレーのキーパーソンにとっては賭けて見る価値があるのでしょう。

日本は昔から失敗という概念の捉え方が,違うようです。文化伝統に根ざしたところが大きいのですね。70年代後半に書かれた 著名な本 Nobility of Failureというのがあります。米国コロンビア大学日本文化研究で有名なIvan Morris教授によるものです。日本の何百年もの歴史を見ると いわゆる失敗そのものを極端な場合 美化する傾向があるそうです。失敗をどうどうと勲章として誇るというものとは逆に、失敗そのものにセンチメンタリズムをも与え、その領域から出られなくなる危険状態に陥るのです。

失敗が創造力の燃料、資産,勲章と見るシリコンバレーの文化生態系とは反対のDNAですよね。

歴史的な高貴な失敗例では源義経とか明智光秀が思い浮かんでしまいましたが、 いまの日本でも とてもアピール感がある存在ですよね。やはり、日本人の失敗についての感性は独特のものがあるのでしょうか。

 

 

 

関連記事