夏の家族旅行から帰宅すると、アメリカ人の友人からカードが届いていました。人に言われた言葉で深刻に悩んでいる様子でした。メールで返事を送ると、毎日メールが来るようになりました。セラピストが話を真面目に聞いてくれない。親戚の子に甘く見られている、やりたかった役職になれなかった、などなど。それでも一週間ほどたったころ、生きがいのある生活がしたい、というメールが来ました。嬉しくなり、「自分に喜びを与えてくれる活動をときどきしてみてはどう? 以前、散歩を続けて健康を取り戻した経験があるよね」と書きました。
でも、目標に向かって頑張ることがすべてではない。メールの原稿を読み返しながら、そんな思いが頭をかすめました。
その思いの奥にあるものを感じようとするうちに、生き生きと自分の経験を話してくれた人たちの顔が浮かびました。残業を減らして余暇を楽しみたいと言っていたクライアントは、重要度の高い作業を先に終わらせて、思い切って週に一度、定時に帰宅することにしました。ある友人は、人生を楽しむには体力が大切だと気づき、地下鉄をわざと一駅前で降りて歩いて通勤しました。別の友人は、手編みのバッグを作りました。彼女がかぎ針を丁寧に動かしたから、毛糸がバッグとして存在するようになったのです。
彼女たちは、やりがいや生きがいに通じることをしたり、それができる環境作りへの一歩を踏み出しました。そして、その過程の時間をエンジョイしたことが喜びにつながったようです。当たり前と言えば当たり前ですが、大切なことだと思います。
そのことに気づいた瞬間、映画「めぐりあう時間たち(The Hours)」の中でメリル・ストリープが演じる編集者が語った言葉を思い出しました。「若かったとき、これから幸せになると思ったけど、あの時こそが幸せな時間だったのよ」
やりがい・生きがいを考えるとき、何かをすることに囚われがちですが、喜びも悲しみも、そのときどきの自分の気持ちを大切にする時間を持つことが、生きがいを感じたり生きている実感をかみしめるために必要なのだと思います。自分の時間を作るために仕事に集中して得たわくわく感、勤め先まで地下鉄一駅分歩いた雨の日の思い、かぎ針を進めながら考えたあれこれ。そのときどきの気持ちをじっくり感じる時間。
私の生きがいには、人とのふれあいが大切だというのは知っていました。でも、その理由は分かっていませんでした。人とのふれあいは、お互いへの共感だけでなく、自分の気持ちを感じたり、相手の言葉に反応する自分の思いに気づいたりする機会を与えてくれます。そうやって自分の気持ちを感じたり、言葉にしたりする時間を持つことも、生きがいを感じる生活には大切なのではないかと思います。
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