日本語の言葉の中には、そのまま英語に訳せないものがあり、同様に英単語にも日本語に置き換えられず、そのままカタカナで表記されることがあります。これは文化の違いから生じるのですが、日本語の‘ものづくり’そして英語の‘マーケティング’等は文化的な観点から、なかなか上手く訳せない一例ではないでしょうか。
ただこのこの二つは、実は概念的にはどこかでつながっているようには思えるのです。このことは先月私が主催したセミナーに参加した幾人かのヨーロッパ人が“フラストレーション”をこめて次のように発言したことからもうかがえます。
参加者の中にいた、3名のシニア営業職の方々は、それぞれ銀行、電子、セラミックの日系企業で働いているのですが、3名が口を揃えて言うのが、特に競争が激化している環境で、自分達の会社がマーケティングを理解していないのではないかと。
彼らの会社は、業界営業経験と実績を持った営業社員を採用し、欧州に最初に営業拠点を設け国際的な営業戦略に役立てました。ところがこれらの営業社員は会社による営業サポートを充分に受けていないと感じていたのです。‘私の銀行ではピッチブックすら無いんですよ。’と参加者の一人はこぼしていました。ピッチブックとは、あらゆる欧州金融機関が金融商品を市場に出すときに使うマーケティング分析資料で、その内容は会社の担当プロジェクトチームのPR、商品の持つ優位性、顧客のニーズの分析情報等が記されています。先述の電子会社の営業社員も‘私たちの商品がいかなる他社製品と比較してどのような付加価値を持っているとか、いかなる点で他社製品より優れているか等を分析した書類を見たことが無いんですよ。’と話をしてくれました。
ひょっとしたらこれは単にコミュニケーションの問題で、セミナーの参加者は今後必要に応じて独自のマーケティングツールを開発するのでしょう。とは言え、ここには直視すべき根本的な問題があるのではないかと思います。今回例に挙げた3社はいずれも日本では業界トップで、誰もが知るほどの有名な会社です。ところが一歩日本の外に出てみれば、その名前は殆ど知られていません。極端な言い方をすれば、日本市場では会社の名前だけで、商品の優位性とか高いサービスを言及しなくても商売はできるかも知れません。つまり、マーケティングという概念そのものが営業とは別ものとして日本の会社に存在していないのかも知れません。
日本の製造業では「ものづくりあ=創造の実の追求」の精神が先行するように思えるのです。つまり、高品質のものを製造することに焦点を絞れば、いずれはその商品が必ず売れるという信念。最近、日本のビジネス評論家が、日本の製造業はマーケティング戦略とは何かを自問すべきとコメントしているのを耳にしました。つまり、何故他でなくこの製品であるべきなのか。どうやって自社製品の差別化を図り、優位性を持たせるのか?又、その製品を一体作り続ける意味があるのだろうか?もしこれら全てに明確な答えを出した上で、ユーロッパのお客様のニーズが求めているものを掘り下げることが出来れば、ヨーロッパ人の営業社員は自信を持ってさらに営業成績を上げる事ができるようになるのではないでしょうか。
(日本のものづくりについてFinancial Timesでこの記事をご参考までに。)
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