作者: 増田真紀子/ロッシェル・カップ
仕事柄いろいろな在米日系企業を訪れるが、アメリカ人からいやというほど耳にするのは「日本人は不可解、何を考えているかわからない」という不満である。これだけアメリカで働く日本人の数が増え、文化交流も過去と比較できないほどに盛んに行われているこのご時世に、である。一般的には「まあ、仕方がないだろう」と聞き流す読者でも、自分が面と向かってアメリカ人にそう言われたらどう反論するだろうか。あるいは反論できるだろうか?
日本人はこのような批判を聞くとき単に「英語の問題」として片付けてしまうことが多いが、本当に問題はそれだけだろうか。日本では、「あ・うんの呼吸」などといって非言語コミュニケーションを良しとする文化がいまだ健在だ。言葉を使わずに意思の伝達ができることは「名人芸」とみなされ、無意識にそれにあやかろうとする傾向があるように思われる。
ご存知のようにアメリカは、日本人には不快と思われる程、言葉に意思伝達を頼る文化である。卑近な例だが以下の夫婦の会話の違いを比較してみよう。
【アメリカのカップル】
Husband: “Honey, I am thinking about inviting my potential client over this weekend. Would that be ok with you?”
「お客さんを今週末招待したいんだけど。大丈夫かな」
Wife: “He’s an important client, right? Of course, that’s fine. What is he like? What do you think I should cook?”
「大切なお客さんなんでしょ。もちろんOKよ。どんな方なの?何を作ろうかしら」
Husband: “You are great. What about the pasta dish you cooked the other day? It was wonderful.”
「君はさすがだね。この間作ったパスタ料理は?とってもおいしかったよ。」
【日本の夫婦】
夫: 「今度の週末、大切なお客をうちに招くからね」
妻: 「あ、そう。なにを作りましょうか」
夫: 「なんでもいいよ」
妻: 「適当にやっとくわ」
【違いその1】
アメリカ人は仕事がらみの客を自宅に招くときには妻に「お伺い」を立てる。夫婦であっても2人の「個人」なのだから相手の状況、気持ちを言葉に出して聞くのは当然と考える。一方、日本人夫婦は、「仕事がらみなんだから妻が協力するのは当たり前」と一心同体的な考え方、アプローチをしがちであり、「役割分担」も暗黙のうちに決まってしまう。この「暗黙の了解」という部分がアメリカ人には非常に理解しにくい。
【違いその2】
日本人夫婦の場合、もちろん夫は妻の協力に感謝しているだろうが、それを口に出して表現するのははばかられる。しかしアメリカ人は必ず感謝を言葉で表現する(しなければならない)。アメリカ人にとって「口に出して言わないこと」は「思っていないこと、存在しないこと」に等しいからである。この重要な部分を省きがちな日本人は、アメリカ人から「不可解」という印象をもたれがちなのだ。
This article originally appeared on the shigotosagashi.com website.
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