customer service differs across cultures

前号では、英国と日本のカスタマーサービスの水準の違いについて話をしました。その中で根本的な文化の違いから、英国のカスタマーサービスに日本の水準を期待するのは無理であろうという結論に達しました。その理由は日本人は一般的に、周囲の目にとても敏感であるからです。

何故日本人は英国、また他国の人々と比べて他人を思いやることに心を注ぐのでしょう?多くの比較文化評論家が日本の歴史について語る時、日本は協調的な‘村’を基本とした稲作国家であるとする一方、西洋社会は個人主義的で、その日その日の収穫を追う狩猟集団と考えます。ただ、この考え方は西洋でも共同作業による農作があるという事実に背を向けているだけでなく、文化は工業化や都市化と共に変動するという事実も否定しているのです。

国家の歴史的背景はさておき、思いやりの度合いというのは、いかにその社会が多様的で、変動的であるかに帰するでしょう。礼儀正しさとか思いやりという点では、私が住んだ事のある英国の他エリアと比べ、ロンドンは著しく乏しいといえます。ロンドン住民の40%は英国以外で生まれています。それ以外の生粋の英国人でさえも仕事や教育、家庭の事情などでロンドンを出たり入ったりの状態ですから、今後二度と会うことも無いであろう周囲に対して思いやりを持つ動機付けも無いのでしょう。また、これだけ人種のるつぼとなれば、礼儀正しさそのものへの概念も国籍の数だけあると理解できます。

日本人は多様的な先祖を持つ国民ですが、それは何千年も昔の事であって、それ以降は日本への移民の流入はあまりありません。日本国内では、地域によって文化・振る舞い・作法等に顕著な差はありますが、礼儀や正しい行いについてはとても厳しい水準を全国で持っているようです。

礼儀正しさが多様な形で共存しているロンドンのような社会では、文化の衝突が生じ易くなります。丁寧に接しているつもりが、相手には無礼に感じられたりということもあります。こんな例えがあります。あるアフリカの文化では、目上の人と話す時に直接目を見るのは無礼とされています。そんな訳で、アフロカリブ系イギリス人の若者と白人の警察官とでひと悶着が起こったりして、「おい、ちゃんと俺の目を見て話を聞け!」などとなるのですね。

私は学生時代にロンドンで、中華レストランで夏のアルバイトをした事があります。私はウエトレスとしてはかなり役立たずでした。北京ダックの肉を切って給仕するという長けた技の必要な事は、全て中国人のウエトレスに任せきりでした。ところが中国流のいいサービスとは、てきぱきと動き、感情を顔に出さず、お客様と世間話などしない、という事でした。つまりそのイスラエル人のオーナーは私とイラン人の女性を雇うことで、笑顔で四方山話をしながら飲み物を給仕するように企んだようです。お客様への笑顔さえあれば、私たちのウエトレスとしての技量は問題でなかったようです。とは言え、氷入りのコカコーラを載せたトレーを男性のお客様の膝に落っことしてしまった時には、笑顔作戦でもさすがに対処は難しかったのですが!

 

このシリーズは人材紹介会社のセンターピープルのご協力の上提供させて頂いております。

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