今朝起きると頭痛があったので、オンライン予約サイトを使ってヘッドマッサージの予約を入れました。最近引っ越したため、そのサロンは初めてでした。
サロンに着くと、「12時に予約のカップです。よろしくお願いします。」と言って、まず座るように言われました。そして「これを記入して下さい」と言って、店員がクリップボードにある登録用書類を渡しました。
しかし、渡しながら店員が「ああ、大丈夫ですか?」と聞きました。何回もこの質問を聞かれたことがあり、正直言うと毎回がっかりします。より直接的に「これを読めますか?」と言われる場合も多いです。
大学時代から日本語を勉強し、日本に長く住み、日本語を使って仕事をしていますので、「日本語ができる」と自覚しています。私の日本語にはまだ欠点が多く、知らない単語は沢山あります。しかし、努力して日常的なコミュニケーションはできるようになったと思いたいです。そのため、読み書きができないと思われるのは悲しいです。日本語を読み書きできるようにとても努力したのにそう言われるなんて、と感じてしまいます。
店員の質問を受けたら「オンライン予約サイトを利用できるぐらいの日本語能力を持っているのなら、当然読めるだろう!」や、「書道の準師範まで取れたよ!」と胸の中で叫んだものの、口にはしませんでした。何故かというと、店員は親切のつもりだっただろうと分かっているからです。「はい、大丈夫です!」とニコニコしながら答えましたが、気分がちょっと害されました。
日本では「思いやり」のとても良い習慣がありますが、今回は残念ながら逆効果になっていると言えます。日本人の多くはシャイなので、読めないものが渡されたら助けが必要だということが言いづらいです。そのような人のために先に声掛けをします。問題は、外国人の多くは「手伝いが必要なら自分の方から言う」文化なので、思いやりを必ずしも嬉しく感じないことです。
日本人が親切にしようとしていることと私が外国人として特別扱いを受けたくない気持ちを両立するために、折衷案を提案したいです。もし店員が「何かご質問があれば言って下さい」と言えばちょうどいいと思います。もし本当に日本語が読めない相手の場合は、そう言われたら「実は、読めないです」と答えるだろうし、私のように読める人には何も傷つけません。言葉を少し変えるだけで印象は全然違います。
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