
Last Updated: 04 10月 2025 12. 謙譲の美徳 【コラム:異文化の海を泳ぐ】
さて、今回は自宅へ他人を招待した時、或いは贈り物を渡す時の言葉や、社交辞令等に現れる「謙譲の美徳」について述べたいと思います。
以前にも触れましたが、我々日本人は自分の事、身内のことについて話す時やたら謙遜した表現を用います。知人を初めて自宅に招待した時、なんと言うでしょう。「汚い所ですが」、「狭い所で恐縮です」。他人に贈り物をする時はどうでしょう?「つまらないものですが」。貰った方もその場で中身の確認もしないので何を貰ったのか知らないまま、後で「お気に召しましたか?」と聞かれて食べ物ではないのに「結構なものを美味しく頂きました。」なんて落語にでも出てきそうな会話が実際に起きたりします。これらは日本では普通になされている会話や行動ですが、この国ではどうなるでしょう?
読者の皆様はよくお分かりの通り、ほとんどのアメリカ人はこの言動や態度を理解できないでしょう。「ちゃんと掃除されているのに何で?」、「確かに狭いかもしれないがわざわざ口に出す必要があるのだろうか?」「つまらないものをくれるの?」、と口には出さずとも心のどこかで不思議に思うでしょう。これらの例はここの文化、習慣から見るといささか不可思議に感ずる事であるからです。
どこからこのずれが生まれるのでしょうか? お察しの通り、これは我々日本人が自分、又は自分の身内の事を表現する際、常に謙遜の態度をとり自分を下に見せる事で相手をたてる一種のおもてなしをしているのに対し、ここでは自分の良い所を積極的に表現する事、自分の身内(奥方や子供)を褒める事が当たり前の事で、ギフトについてもいかにこのギフトを選んだか、その特徴を説明する事で相手に喜んで貰えるように努力する傾向が一般的だからです。従ってギフトはその場で開けて中身を見る事は大事な行為なのです。これはやり方こそ違え、やはり相手へのおもてなしの一つだと思います。そういえば日本ではお客を案内して家の中を回るということはめったにしませんね。でもこちらではこの行為は極めて自然に行われています。日本人から見ると何か自分の事を自慢して見せているんじゃないのと感じるかもしれませんが。私自身はこの「謙譲の美徳」が好きで大事にしたいと考えますが、この国では周りの人々がそれを理解してくれないと言う事も事実として認識する必要があると思います。
さて、この自宅への招待に関連して日本でよく使われる言い回しに、「近くにおいでの際は是非お立ち寄りください」というのがあります。これは非常によく目や耳にする言い回しで「宜しくお願いします」と同じ様な雰囲気がありますね。この「宜しく…」はそれ自体、特に意味をもたず、ただ儀礼的に使われる言葉です。「近くにおいでの際は…」も多分に儀礼的な言葉で、言う方も聞く方も本気で訪問など考えていないでしょう。
ところがこれをアメリカ人に言うと本気でとらえ、ではお邪魔しますとなります。言った方は、え、本当に来るの? 冗談でしょ!なんて事になります。実際、妻と日本を訪問した折、複数の知人から今度ぜひ家にと言われましたが、実現した事はほとんどありませんでした。妻(アメリカ人)曰く、何で皆是非と言うのに何も起こらないのだろうと首をかしげるのに対し、いや、これは社交辞令なんで、と説明に四苦八苦した記憶があります。もっとも一回だけ知人の家に泊めてもらった事がありましたがこの知人は以前米国に住んだ経験があり、こちらの習慣を知っていたという事情がありましたのでちょっと例外でしょう。以上私の経験も交えてご紹介しました。皆様方の御意見、ご感想をお待ちしております。
それでは又次回お目にかかりましょう。
* この記事はデトロイト日本商工会の会報「Views」に2021年11月に掲載されたものです。
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