30. 別れのことば【コラム:見る前に跳べ】

6年前に父が亡くなった際、日本はちょうど国境を閉鎖したばかりでした。新型コロナウイルスのパンデミックにより、自国民でさえ入国が許可されない状況でした。その後まもなく隔離期間の制度が導入されましたが、私が帰国を必要としていた時点では、そのような措置はありませんでした。私は日本領事館に連絡を取り、特例を認めてほしいと懇願しましたが、返ってきたのは「対応いたしかねます」という、冷たく無関心な回答でした。

母が亡くなってから3週間が経ちました。なんとか日本行きの航空券を手配し、妹と妹の家族と一緒に母を悼むことができました。また何かトラブルが起きるのではないかと心配していたので、無事に妹の家に到着できた時は本当にほっとしました。

その翌日、私は故人を旅立ちへと送り出すための儀式に立ち会うべく、葬儀施設を訪れました。日本の映画『おくりびと』をご覧になったことがあれば、日本の伝統的な納棺師の仕事ぶりや、その儀式が持つ美しさと尊厳をご存じのことでしょう。彼らは、故人の魂が安らかに後世へと旅立てるよう、遺体に細心の敬意を払って接します。儀式的な清めや着替え、そして穏やかな表情に見せるための化粧を施し、手足を優しくマッサージして、くつろいだ安らかな姿へと整えていくのです。私は母に携わった納棺師の二人に、心から感謝の念を抱いています。

次の日、母を火葬しました。花や手紙、そして母が大切にしていた品々を棺に納めました。その中には夫の最新著書『オリジナル・ラブ』もありました。(これで夫は、自分の本が燃やされたと正式に言えることになります。)母の​​遺骨を拾い、骨壺に納めました。一日中、静かに雨が降り、私たちは静かに涙を流しました。

その後2週間、姉妹でひたすら、延々と続く事務手続きの処理や母が暮らしていた家の片付け、市役所の担当者、司法書士、不動産業者などとのやり取りに追われました。そうした作業の合間に、母の言葉や一緒に過ごした思い出、そして母がいなくなって寂しく思うことなどに二人で思いを馳せました。泣いたり笑ったり、時にはその両方を同時にしながら。

両親は、葬送のあり方を自由に選ぶという新しい考え方を推進する日本のNPO「葬送の自由をすすめる会(GFPS)」の会員でした。二人は、亡くなって火葬された後、遺骨を一緒にして海に散骨されることを望んでいました。また、伝統的で大規模かつ莫大な費用かかる葬儀を望んでいませんでした。そのため、私たちは近親者のみでの家族葬を行いました。

GFPSから、次回の海洋散骨の日程がまもなく発表される予定です。私たちはチャーター船に乗り、同じように最近大切な方を亡くされた他のご家族と共に、両親の遺骨を海に還すことになります。両親の願いをかなえられることを、心から嬉しく思います。散骨は、両親との感銘深い別れのひとときとなるでしょう。そして、海を訪れるたびに、私たちは両親と再会し、語りかけることができるのです。太平洋であれ日本海であれ、あるいはその他の海や川であれ、すべての水域はつながっているので。

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